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「かがやき工房」開設まで

もくじ

事の始まり、1997年夏

北海道難病連のある会議で、伊藤事務局長から「小規模作業所の実施要項が改正されて、難病患者も参加できるらしい。 各支部で開設を検討してみては?」と提案され、難病連旭川支部の運営委員会で提案・報告することにしましたが、報告するほうも、されるほうも皆目分からないまま、「とりあえず、やってみよう」と言うことで、市役所の担当部署に相談に行ったのが、同年10月24日です。 市の担当者は「作業所の要綱が変わることは聞いていませんが、現状のままでも、障害者が中心で有れば、難病患者が参加することは問題ないと思います。」と、開設の可能性があることを示唆してくれましたが、「来年に向け道に報告する予備調査は、昨日もう締切りました。」との返事。 それで諦めては旭川支部の名折れとばかり、「道はまだ処理していないでしょう。 まだ間に合うと思いますから確認して下さい。」と食い下がり、「明日中に計画書を提出すれば、来年度の開設に間に合います。」との返答をもらいました。 その夜一晩で、作業所の規模、通所人員、実施する作業内容、概算予算などを作成し、道への計画書提出を間に合わせました。

本格始動は、1998年の2月

年が明けて、市の担当者に「道から何の音沙汰もないようですが、開設認可になるのでしょうか?」と聞くと、「最終的には次年度にならないと分かりませんが、これまでの例から言いますと、音沙汰がないと言うことは問題ないということでしょうから、開設の準備に掛ったほうがよいと思います。」とのこと。半信半疑でのんびり構えていたものですから、大変だったのは、それからです。まず、作業内容を決めなければなりません。これまで、作業所と言えば、重度障害者や知的・精神障害者が主な対象者で、リハビリや社会参加の一環として、文字通り何かを作る「作業所」だったと思います。また、設置の主体者がそうした障害者の家族であったり、障害者団体であったりしたため、難病患者は事実上対象外とされてきました。そして、難病患者の多くは通常は健常者と変わりなく、普通の仕事ができ、求められている仕事の内容は、リハビリでも内職でもなく、本格的な、社会に通用する仕事だろうと言うことで思いついたのが、自分が趣味としていた「パソコン活用を軸とした仕事」でした。各種補助金の申請も、他の先輩作業所から教えられて知るところとなり、ほとんどが締め切り直前の状態で、「すべり込みセーフ」でした。

1998年3月中旬、ようやく具体的な動きスタート

開設前に、市内のボランティアグループからの募金があり、準備に弾みがつきました。難病連旭川支部事務所と福祉機器営業所「かがやき旭川」に隣接する部屋がひとつ空いており、作業所の話が出た頃から、支部が「物置」として確保していたので、ここを活用することにして、片付け掃除、内装工事、備品の調達などをスタートさせ、平行して、運営規則を作り、運営委員を選定したり、通所者との面接・決定、関係者全員での会議や学習会、予算書・計画書の作成と、文字通り手探りの(無謀なる?)挑戦の連続でした。

1998年4月14日、開所式

2002年4月4日当時のかがやき工房
2002年4月4日当時のかがやき工房

こうして、いくつかの偶然と少しの幸運と、多くの方々の暖かい援助が重なり、全国でも初めてと言われる「難病患者を主体とした障害者地域共同作業所」がオープンすることになったのです。開設後の反応や通所者の感想などは、別のページに譲りますが、運営の特徴として、出勤は完全フリータイム制で仕事はノルマなしを原則としています。また、これまでの経験から、あくまでも作業所の主人公は通所者であり、職員は世話役、運営委員会はサポータズクラブ(支援者)に徹することを確認してきました。「かがやき工房」がその名に恥じぬよう、いっそう輝いて、全道・全国の難病患者の希望の星となるように頑張りたいと思います。皆さんの暖かいご支援を、心からお願いいたします。

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